先生のメッセージ

この度6月24日、本草薬膳学院は北京中医薬大学の提携校となりました

母 校

  人は自分の卒業した学校を母校と言います。何故父校といわないのか?といつも不思議に思っています。私の母校は北京中医学院です。今は北京中医薬大学と改名しました。
  子供時代によく聞かれたことは「将来の夢は何ですか?」私の夢は宇宙飛行士でした。皆笑うかもしれませんが、私が子供の時、1961年旧ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン氏は東方1号の宇宙船に乗って地球一周の飛行を成功して世界を驚かせ、各国のマスコミに大きく報道されました。それから人類の歴史は新しい幕を開け、宇宙を征服する競争に入りました。中国人は昔から月へ行くことに憧れをもっていました。月に桂花酒があり、玉兎・嫦娥が住んでいるなど美しい伝説が伝わっているからです。ガガーリン氏の成功で人々の夢が膨らみ、私もその1人でした。中学校の進学も宇宙科学関係の学校を選び、大学もその道に進んでいこうと決心していました。医者になる、特に中医になることは夢にも思いませんでした。
しかし自分の将来はすべて自分で選択できる時代ではなかったのです。1966年の文化大革命は10億人の人々の人生を変えました。偶然が重なり、行き違いが生じ、医の道に入りました。  
  3年間、軍隊の病院に衛生兵として勤め、再開した大学へ進学する時に、姉二人はすでに西洋医の大学に入っているからと父の命令で北京中医学院を選びました。
  1972年3月、本科生としてびくびくする気持ちで和平里にある北京中医学院に入学の手続きを行いました。
  北京中医学院は新中国が建国してから、1956年に中央政府の中医政策によって作られた大学です。当時キャンパスがなかなか決まらなかったので、一時は成立が難航しましたが、故周恩来総理の直接指示で海運倉に建てられました。文化大革命の時に、大学は中医研究院と合弁し、新入生は和平里の新しいキャンパスで勉強することになりました。3年間の軍隊生活で精神的に、行動的に訓練されました。更にみんな同じ制服を着ているので、方言が多くても違和感はありませんでした。それが大学ではそれぞれの服を着て、色々な方言を使って、バラバラな考え方、自由な行動…頭に新しい風がスーと入り、全く違う開放された感覚で、ワクワクした気持ちがいっぱい溢れていました。
  当時の学生は軍隊のように編成され、72級の学生は2つの連隊に分け、1つの連隊に2つの排を設け、1つの排に4つの班を設けていました。連隊長と指導員は大学の先生が担当し、私たちの日常の生活を管理します。排長は軍隊の中から入学してきた学生が担当します。軍医大学には中医学院がないため、地方の中医学院から学生を送っていました。私は2連2排8班に属していました。同じ班には、新疆・内モンゴル・陝西省・山西省・河北省から来ている14名の学生がいました。学生の年齢は15歳の差もありましたが、大学に入りたくても入れない状況から解放され、勉強したいという強い意欲はみんな同じです。ケ小平氏が復出した時、中止した教育をやり直す時期となりました。先生たちが文化大革命によって浪費された時間を取り戻そうと、やる気満々で知識を一所懸命私たちに教えました。学生にとって一番嫌な試験は次から次へとあり、永遠に終わらないように感じました。夏休み前の寮はガラガラで、夜遅くまで図書館の電気は星のようにきらきらと輝いていました。
  その時の先生たちは、今はほとんど故人になられましたが、先生たちの方言・笑顔を今でも鮮明に覚えています。陰陽五行・五運六気・易経に最も詳しい任応秋先生の腹力のある四川方言の大きな声は今でも耳に響いています。王玉川先生の小さな声で聞き取れない江南方言を聞いていると、いつも授業中に眠くなってしまい、先生に申し訳なかったと思っています。王綿之先生の方剤学は、当時の私は本当にわけが分かりませんでした。先生は、今では宇宙科学に関わり、作った方剤を宇宙飛行士が飲んで地球に戻った時、体調がとても良好だったということは、他の宇宙開発大国には目からうろこのような話でしょう。ほっとした授業は、河北省出身の焦樹徳先生の純正の北方話でした。北京中医学院の先生は全国から来ていますが、建校当時に四川省・江蘇省から多くの先生たちを招集したので方言が溢れるキャンパスになりました。しかし、素晴らしい先生たちからたくさんの教えていただき、感謝の気持ちは永年忘れません。
  当時、一番の楽しみは校園菜園でした。今では狭くなったキャンパスですが、当時は空き地がいっぱいありました。班ごとに菜園をもらい、野菜を作りました。毎朝、私が早く菜園へ行って、水をかけ、菜苗の成長を観察して楽しみました。
今年の3月に、34年ぶりに寮を見に行きました。灰色のビルは薄い黄色に塗り替えられ、新緑の柳と映りあって、さわやかな風景が見られました。管理人に聞いたら、現在も1年生と2年生の寮ですが、学校建設のため近いうちに寮は壊す予定だそうです。また、高学年生の寮は新しい高層ビルになっています。
  昔のことが懐かしくなるということは年を取った証拠ですね!
  今回、本草薬膳学院が提携校として契約した北京中医薬大学は私の青春が刻まれ、無邪気な友情が溢れている私の母校なのです。